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株式会社スカイフォールはシド・ミード展開催後、偉大なデザイナーの素晴らしさを引き続き次世代に伝えていきたいとシド・ミード 2020 プロジェクトと称して活動を継続してきました。
ところが、シド・ミード氏は2019年9月に引退後、残念ながら同年12月30日に逝去されてしまいます。
現在アーカイブ配信中の追悼トークライブ「巨匠たちが語るシド・ミードの世界と魅力」に出演した大友克洋監督からは、シド・ミード氏への熱いリスペクトとともに、プロジェクトの一つである高精彩複製画「クロノアート」に対する称賛のメッセージを頂戴しました。
また、同トークライブで明らかにされたように、シド・ミード展企画当初にプロデューサーとして参加を予定していた庵野秀明監督からもメッセージをいただき、このたびの図録〈愛蔵版〉をはじめとしたプロジェクトの今後の活動にも期待を寄せてくださいました。
さらに、追悼の意を込めて各界クリエイターからもメッセージが届いています。未来に続くミードプロジェクトの輪をぜひご覧ください。
*12/30(水)配信終了(チケット販売は12/29まで)

スペシャルメッセージ

シド・ミード氏は、SF映画のデザイン、世界観に新たなイメージと衝撃を加え、その後の流れを大きく変えた、偉大なデザイナーの御一人だと思います。

「ブレードランナー」を始め、ミード氏の仕事やアートを直に観て体感出来た昨年の展覧会は、懐かしさと感動が込み上げる貴重な時間となりました。

ミードYAMATOも、∀ガンダムも、オリジナルを踏襲している<リ・デザイン>が、
本当に素晴らしいのです。

まだまだ他の絵画作品も観たいですし、これからも多くの人に氏の魅力が語り継がれる事を切に願います。

庵野 秀明(監督・プロデューサー)

展覧会「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」の感動を詰め込む必携の一冊!

没後一周年の特別企画として、既刊の図録を大幅アップデート。追悼の意を込めて幻の「ショルダー・オブ・オリオン」を初収録した〈愛蔵版〉が、今冬リリース!

「シド・ミード展」図録

日本に居てシド・ミードの原画を目にする事は中々ありません。2019年の原画展は、氏の代表作が一堂に会した素晴らしい催しでした。デザインの独自性、配色、絵ノ具を塗る技術の緻密さを間近に堪能しました。
今回高精細な複製画が発売される事になりました。是非手に取って、ミード・ブルーの再現性を見て下さい。紙の選択が原画のアクリル、ガッシュ感を思わせて素晴らしいです。

大友 克洋(『AKIRA』漫画家・映画監督)

高精彩複製画「クロノアート」で観るシド・ミードの世界

原画の魅力をそのままお届けするクロノアートは、繊細な階調表現を可能とする高精細印刷技術プリモアート®を使用した複製画で、シド・ミード氏も絶賛する最高の仕上がりとなっています。

高精彩複製画「クロノアート」1

高精彩複製画「クロノアート」2

高精彩複製画「クロノアート」3

追悼メッセージ

どんなに優れた未来を感じさせるビジュアル、音楽、ファッションであっても、世に出て広まっていくことで「その時代の物」となり、一般化され消費されてしまうのが世の常です。特定のディケイドに帰属する未来的な音楽、未来的ファッションなど、実例は枚挙にいとまがないでしょう。

 

昨年末に亡くなったシド・ミードが遺したデザインやアイディアは、全力でそのことを拒みます。時代が追い付いて彼のビジュアルが現実世界の一部となりはじめた現在でも、xx年代風と呼ばれることはなく、しいて云えば21世紀風。つまりゲージがディケイド(10年単位)ではなくセンチュリー(100年単位)なのです。

 

それはミケランジェロの壁画や彫刻が500年後の今もなお、新鮮な輝きを失わないことにとても似ています。

綾部 和(「火星カレー」プロデューサー・ゲームデザイナー)

シド・ミードさんのことを何か書こうとして、「個々のデザインを提示するだけではなく、作品の世界観をデザインとストーリーが集積された絵、として表現できる唯一のアーティスト」「描き出す世界から人間とテクノロジー肯定する思想が感じられ、それがその美しさを際立たせている」などと書いてみても、その存在の大きさをうまく言い表すことが出来ず、もどかしい気持ちだけが渦巻いてしまう。


しようが無いので、ボロボロになったSENTINELやOBLAGONを引っ張り出してみる。何度も見ているはずの絵にまた新たな発見があったりして、嬉しかったり、懐かしい気持ちになったり、そしてさみしい気持ちになったり。最初の出会いは高校時代のSTARLOGだったような気がする。その時から特別な存在として私をぶっといレーザービームのような光で導いてくれているような気がします。本当にありがとうございました。いつまでもあなたの作品を愛し続けると思います。

荒牧 伸志(メカニカルデザイナー・映画監督)

『∀ガンダム』は早い段階から参加していて、もしシド・ミードさんがMSのデザインを請けなかったら、大河原邦男さんと僕が担当することになっていたと思います。でも結果的には最初の衝撃、スモーの原型となる主役メカのラフが送られて慌てふためく現場から、来日したミードさんとの打ち合わせや食事会まで、ずいぶん多くの機会をご一緒した気がします。

 

デザインを直接やりとりすることはありませんでしたが、ミードさんの引く線と面の美しさには影響を受けました。そのつながりの気持ちよさや美意識は、なにかデザインする際にいまでも心がけることの一つです。

 

あるとき富野由悠季監督に促されて、ミードさんに質問をする機会を得ました。当時クライアントとデザイナーの関係性について悩んでいて、「クライアントのオーダーと自身のエゴをどう昇華させたらよいのでしょうか?」と相談したら、言われた「20%のロマンティック」という言葉が強く印象に残っています。

石垣 純哉(メカニックデザイナー)

様々な映画や画集で触れてきたシド・ミードのメカニック群。

 

メカデザインというものは単なるデザインではなく、コンセプトや世界観から考えていくものということを教えてもらいました。

 

こりゃ自分には無理だということに気づき、メカの出てこないSF漫画ばかり描いていますw

海野 螢(漫画家)

「どこまでも輝かしい、誇らしげな未来」​

その日、廃校になった学校を改装したギャラリーで
ひたすらそのタッチを凝視していました。
科学技術へのあくなき信頼と、そのテクノロジーが産み出す
突き抜けて楽天的な未来図こそがミードさんの真骨頂に思えて
ラフスケッチから完成原稿まで、全くブレない姿勢に
只々圧倒される思いでした。

日差しは明るく、人びとは豊かに笑い暮らし
その暮らしをクロームメッキの意匠が飾る世界。(千葉ですら!!)
根がペシミスティックな自分には
そのまばゆい未来図は、決して訪れる事のなかった
もう一つの世界の出来事に映ったのです。​

陽光差す未来へ還って行かれたミードさん。
極東の小僧に、まだ見ぬ未来の存在を教えて頂いて
ありがとうございました!

大倉 雅彦(監督・アニメーター)

ジ…絵の中で満たされる。そんな体験を日本初のシド・ミード展で味わった時は小学生だった。絵という窓から未来が瞬時に開示され、当時は、なんだか光に満たされたまま、嗚呼、これは絵の具ではないンダ、未来を観たんだ! と、開示された秘密をコッソリと心に隠し続けてきた。それから沢山の映画や風景や工業プロダクト、過ぎ去る車の総てが、その絵の中から抜け出てきたようで、その度に家に帰ったかのような錯覚を覚えてきた。
 
ジ…そして、再び奇跡の展覧会を体感し、細胞が数十年前と数十年後を高速て行き交った錯覚を得て、酔っぱらいのようによろめく。否、コレは錯覚でも酔ったワケでもないノダ、と思い直す。

 

沢山の絵画群は、絵の具に例えた素粒子の扉であり、僕等はシド・ミードという未来人の優しさに包まれた魂の群、シド・ミードの乳飲み子だ。だから今も、何故か寂しさを越えて満たされている気がする。

 

ジジ…Yes My Mead.

木村 俊幸(LOOP HOLE/VFXアーティスト)

ミードさんが稀代の絵師(そこにはテクニカルな面とヴィジョニストの2つの意味が含まれている)であることは疑いようのない事実だ。同時に遠い、孤高の存在と思っている人も多いと思う。実際に僕もそうだった。しかし回顧展で間近に見た繊細な線・色を、そしてそれがミードさんという個人の手によって描かれたものであることを目の当たりにして、僕はミードさんが本当にいる(いた)のだということを実感した。この線を引いた人が、この世界にいる(いた)のだ。線や色の積み重ねによって「見たこともないのに、いつか見る事ができるように思える地続きの世界」を描いた人の「生(せい)」がたしかに存在していた。
 
割と偏屈な少年期を過ごしたので、いわゆる未来世界の想像画を半分ネガティヴに捉えていたけれど、でもなぜかミードさんの未来都市の絵だけは漠然と「あ、いつか僕はこの光景を見る事が出来るんだな」と思って見ていた。そして未来を(あるいは社会・世界を)絵で描くというのはこういうことなのだと刷り込まれた。残念ながら後者については、そう時間が掛からないうちに自分ではミードさんみたいな絵が描けないことに気がつき、そして前者についても、ミードさんの絵を見てから何十年も経ったのに未だに見たかった風景が見られないでいる。そう、僕(ら)の「生(せい)」は全くミードさんのヴィジョンに追いついていない。残念だけど。

京田 知己(監督)

シド・ミード氏のデザインするものは、一見装飾美に特化したような豊かなキャラクター性を持ちながら、自ら創造した世界の中で、そこにあることがさも当たり前のようになじみ、ともすれば機能美の塊にも見えてくるその二面性に心惹かれました。

 

“ビジュアル・フューチャリスト”という肩書きと、提言されていた“未来のリハーサル”という言葉、そしてミード氏の創造し続けた素晴らしい作品の数々は、私たちが未だ見ることの出来ない未来が、遠くこの先にも広がっていると実感させてくれるのです。

ことぶき つかさ(キャラクターデザイナー・漫画家)

シド・ミードさんの事を思い起こせば、高校生の頃、図書室で見つけたシド・ミードさんの画集”SENTINEL”を、授業をサボりひたすら食い入る様に観て感動を覚えた事を、最初に思い出します。

 

そして、その時から私は絵の仕事を生業として生きていく事を決意した瞬間でもありました。

 

憧れていた方とその後、「YAMATO2520」でまさか、お仕事をご一緒できるチャンスに恵まれるとはその時は思いも寄りませんでした。
ご一緒さて頂いた瞬間も、高校生の頃に感じたその感覚と変わらない何かが、蘇ってきました。
それは、ミードさんの描かれるデザインには、本当に完成されていく未来があるのでは、という想像力を刺激しワクワクする感覚でした。

 

もう、ミードさんの新たな絵を見れない事に、大きな喪失感を感じ得ずにはいられません。
しかし、残された偉大な業績を 私は生涯何度も見返すと思います。

竹内 敦志(デザイナー)

シド・ミードさんの絵からは本当に多くの事を学ばせていただきました。そしてアーティストとして生きるエネルギーを頂きました。


勉強すればする程その偉大さに気づかされます。そこに少しでも近づこうと努力し、次の世代に氏の素晴らしさを伝えていくことが、シド・ミードさんの作品によって沢山の未来を見せたもらった僕たちの役割であり恩返しなのではないかと思います。

田島 光二(コンセプトアーティスト)

シド・ミード氏の描く未来社会は人類の科学技術の頼もしさに満ちている。自然の秩序が組み込まれた、しなやかな人工物と笑顔の人々。

 

初めて小遣いをはたいて買った画集に影響を受けて工業デザインの道に進みました。後年は映像の世界へ足を踏み込み、『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクに関わる中で、氏を意識しなかった事はありません。

 

氏はアートセンター入学前の兵役時代、3年間沖縄に駐留したという。画業のスタート時、強烈な太陽光と影は画風に影響を与えたのではないか。いつかこちら沖縄に招いてお話を伺いたかったが適わぬ喪失感。しかし今では足下の自然の中に、調和した未来のヒントがあるのではと思えるように。

 

氏の長いキャリアで残した輝きの数々は、これからも私たちの灯火であり続けるでしょう。

玉盛 順一朗(メカニックデザイナー)

ターンエーやヤマト2520が日本のアニメシーンに出現したとき受け入れられなかったけど、今はその良さがわかるようになりました。って、昔はやんちゃだったけど今はいい人です的な美談の如く語りおって!
 
いやいやいいんですよ。それは日本の少年達がが大きく育ってきたって事なんですから。
シド・ミードの遺伝子が日本市場に浸透せずに"過去に偉大な人が居ました"という伝説にされてしまうのが恐ろしかった。けど2019年の「シド・ミード展」に行って杞憂だとわかりました。
あなたに影響されって育った少年たちが、ちゃんとパクって自分の血肉にしてます。
 
僕にはまだおこがましくも表面的なをマネすることしか出来ないけど、シド・ミードという巨大な樹から、僕たちがミームをちゃんと生きた枝葉として最先端まで運びます。ご安心ください先生。

CHOCO(イラストレーター・漫画家)

中学生の頃近所の古本屋さんで出会ったシド・ミードの画集で、宇宙で一番カッコいいものに出会ってしまって以来、どうやったらシド・ミードさんのようになれるかを考えて実行してきました。

シド・ミードさんもそうだったようにまずはインダストリアルデザイナーになる為に美術大学に行き、友人と一緒にクロノログを秘密の法典を見るように見て思いを馳せました。

そしてやはり同じようにコンセプトアーティストになり、色々なお仕事をさせていただくようになりました。

中学生のあの時古本屋さんの本棚から私の人生のコンセプトを提示してくれたお陰で私は人生の方向性が見つかり、頑張り方がわかった気がしています。

本当にありがとうございました。

富安 健一郎(株式会社INEI/コンセプトアーティスト)

当時類人猿だった僕の眼前に未来の世界を拡げてくれた巨星。

その日焼き切られた脳でずいぶん長い時間トボトボと創作の原野を彷徨っていますが、ミード師匠の遺された物を古びて感じた事が只の一度もありません。

どうやら本当に神だった様だ。​ ​

内藤 泰弘(漫画家)

シド・ミード! 彼の名前を聞くと、いつも胸が熱くなる。

高校生の時に、彼の絵を見て衝撃を受けて以来、何度、画集を見返したことか。自動車メーカーのデザイン部門に就職したのも彼の影響だ。

写真家となった今でも、光の捉え方などは、彼の絵に影響を受けていることを否定しない。私にとって、彼は、心の師なのだから。

西澤 丞(写真家)

氏を知った切っ掛けはポリス・スピナーのデザイナーを探した時でした。当時工業デザイン科学生だった時、臨時講師の1人がアートセンターで氏と同窓生で其の時の思出話は私を虜にしました。同時期に『王立宇宙軍』の懸賞で渡航した際、奇跡的に氏の特別講演に参席出来、通訳を介してですが5分程氏と直接会話は歓喜でした。

 

氏の類い稀な才能・発想・描写力で創造・提示された【未来】は私達を魅了して止みません。ある番組で氏は未来とは人々の願望の現れだ、素晴らしい未来を提示する事で未来は其の方向へ進んでいくのではないかと語りました。

 

氏は地上で許された時間で多くの素晴らしい未来世界を提示され私達は託されました。道は違えど氏に触発され各々の分野でより良き未来の為に奮闘されている自覚があるならば貴方も立派な【ミード・チルドレン】だと思います。氏の意を継ぎ、共により良き未来を創っていこうではありませんか。

深野 洋一(イラストレーター・デザイナー)

シド・ミードはその生涯を完遂することで、過去の人ではなく、
むしろ、「未来の人」となった。
彼とその仕事は、未来で我々を待っている。 ​

三宅 陽一郎(人工知能開発者/日本デジタルゲーム学会理事)

私とミードさんとの接点は四半世紀以上前、「YAMATO2520」という作品の企画開発に参加していた時でした。

荘厳なオーラを湛えつつも、我々のような若輩者たちに対してとてもフレンドリーに接して頂いた事が忘れられません。

また、「宇宙戦艦ヤマト」という我々の世代にとってはそのフォルム自体が“レジェンド”である存在を、斬新な解釈でまとめ上げたミードさんのセンスに心から敬服の念を抱きました。

普段意識する事がないとしても、ミードさんから受けた刺激は確実に我々の中に残っていると確信します。

今後もそのエッセンスを糧に自分なりの表現手段のヒントにさせて頂きたいと思います。

もり たけし(監督)

『∀ガンダム』でシド・ミードさんにお目にかかることができたのは終生忘れ得ぬ貴重な経験でした。ミードさんは得体のしれない日本の若者たちにも気さくに接してくださり、その懐の深さとプロフェッショナリズムは自分が目指す目標となりました。

 

当時のミードさんのお年に届こうとしているいま、自分もおよばずながら精進をつづけていかなければと想いを新たにしています。ありがとう、ミードさん!

森田 繁(スタジオぬえ/設定考証・脚本家)

∀ガンダムのモビルスーツのデザインはとても未来的で、でもすごくリアルで、夢中になって画面にかじりついて観ていました。登場人物の台詞にまで影響を与え、物語と深く絡み合っていて、これがデザインの力なのかと衝撃を受けました。

 

新鮮な未来のにおいを感じさせてくれるシド・ミードさんの作品。私のようにこれから出会う人々もたくさんいると思います。
たくさん見て、勉強していきたいです。

矢田 喜多(バクステ外神田一丁目)

※五十音順・敬称略